2011年12月15日木曜日

冬期休暇のお知らせ

本年も大変お世話になりました。

弊社におきまして勝手ながら下記の期間を冬期休暇とさせて頂きます。

2011年12月29(木)~2012年1月4日(水)

なお、上記期間中のお問い合わせにつきましては留守番電話またはメールにて承ります。
2012年1月5日(木)より御対応させて頂きます。
御迷惑をお掛け致しますが、何卒御了承の程、宜しく御願い致します。

期間中問い合わせ先
tel. : 03-6206-0615
e-mail : arch5@arch5.jp

株式会社 Arch5

2011年10月4日火曜日

BIMについて講演を行います

タイトルの件ですが、(株)ダイナミックマーケティング社様セミナー『ハイブリッドモール型SCづくり』にてBIMに関する講演を行わせて頂きます。

テーマ:次世代建築設計(BIM)
    CADソフトが変えるSCづくり
講師:小俣 光一
   (株)Arch 5 代表取締役・一級建築士
日時:2011年10月18日(火)13:00~17:00
   (株)ダイナミックマーケティング社六車先生講演後になります
場所:大阪リバーサイドホテル

内容:
〔ハイブリッド型モールへSCを進化させる為のハード面での新たな建築的手法の提案〕
1.これまでの設計図やパース(鳥瞰図)では表現できなかった建築要素をSC関係者も
  多くを理解できるシステム
  計画開始時点からバーチャルリアリティー → 相互理解の早期取得
2.企画・設計・竣工時点それぞれの思いとイメージがぶれることなく実現し無駄なく
  ステップアップが可能
  計画段階の早い時点で、建築素材・空間と建設費の確定ができる → 事業計画の
  正確な方向付けが実現可能
3.多くの関係者が遠隔地で同時に情報の共有化が可能
  BIMネットワークとインターネットが企画・建築設計から現場に
  入り込む時代が到来
4.資産管理運営と維持管理運営データの一本化が可能
  BIM設計データを資産台帳にデータ移行させることができる
5.ディベロッパー(建築主)とテナント・ユーザーに大きなメリットを提供する
  ことが可能
  工事区分ごとの図面データ整理とバーチャルで店舗イメージ作成に
  よるリーシング手法


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2011年9月3日土曜日

宮城県仙台市~亘理町レポート(その2)

 我々日本人が1,500年以上の木の家の文化を積み上げてきたにもかかわらず、戦後においてここ数十年の間で環境配慮や歴史を考慮する事より技術力に頼った家を好み、多く建てることとなってしまった。このことをこの本は、改めて日本の家の課題点としてあげ、家に対しての資産価値まで警鐘を鳴らしている。我々建築の専門家は、北海道から沖縄に至るまで、その地域に最もふさわしい建築物を常に提案しなければならない。


 東北新幹線は、私が大学を卒業して就職し仙台に赴任したその年に開通した。まさに建築基準法の改定があり建築物の構造に関する基準が変わった境目の年であ る。土木の設計基準に変化があったかどうかは、検証してはいない。しかしながら、仙台駅を中心に、北部も南部方面にも多くのダメージを受け、柱の補強をし た跡が数多く見られる。地震直後の想定被害とかなりの乖離があった事を感じる。復旧工事に当初予定よりも時間がかかったのは、当然の事だろう。阪神大震災 のような高架部分の横倒しがなかったのは幸いである。更には走行中の新幹線に大きな人的災害が起こらなかったのが奇跡のように感じられ、この奇跡に胸をな で下ろす思いである。改めて不特定多数の人の利用する公共的インフラに「想定を超える想定外」という言葉は不適切だと感じた。


 やはり深刻なのは、仙台市の東側から福島にかけての海岸地区・地域である。ほとんどが許可書を持たない一般の人は立ち入り禁止地区になっている。5月の 後半には、毎年水田に青い若い苗が植えられ水面と空が解け合う風景が特徴的であった。しかし今年は、田んぼにはガレキとゴミが多く残されたままだ。すでに 3ヶ月近くたち、だいぶ片付けられてきたようだが初めて見る人にとっては言葉も出ない状況である。浜に近い集落や港のある街は、建物が全て浸水した。その 被害状況は様々である。歴史を積み重ねてきた集落は、比較的被害が少ない。新たに造成された住宅地は、有名なハウスメーカーの建物でさえもしっかり接続さ れていたはずの上部建物は流され、基礎のコンクリートのみ残されて建物は跡形もなく姿を消していた。


 不思議な現象を見た。古くからある集落において2メートルほど浸水している住宅やお寺の建物において、さほど大きな被害を受けていないケースが見られ た。海や堤防に近い場所であっても、このような事例はある。開口部のガラスも割れていない建物もあった。水害には遭っているが津波の水流が緩やかな場所が あったことが想定される。数メートル離れた場所の建物は、サッシュごと流され外壁も残らずに2階のみ自立している物件もある。長い歴史の中で何度か津波を 経験してきた先人たちが生活の場を微妙な違いの中で選択して築いてきたのだろう。


 しかしながら改めて津波の威力に驚かせられる。長さ5メートルほどのコンクリート製の堤防を何メートルも押し流し、大きく地面を掘り返し津波は押し寄せて きたのだ。車や家具・大きな船までも全く予期せぬ場所まで押し流していった。倉庫のシャッターやサイディング・ALC壁は、跡形もなく流された。その中身 も何もなかったかのように、床に砂のみが残っている。 


 港の近くの街は、ゴーストタウンのようだ。木造の建物の2階部分が学校の校庭の片隅にぽつんとたっていた。一階部分が壊れ、津波に流されここまで来たのだろう。不思議な光景で何か語りかけているようであった。部分的に残された学校のフェンスには、3メートルほ どの高さまで細かいゴミが網にかり、まるで漁の網にかかるちりめんじゃこのようにへばりついていた。その学校の裏手から港にかけては、高さ15メートルほ どにもなる建物の瓦礫の山が、自衛隊の力で積み上げられていた。以前は立派だったと思われる庭の植木も今では砂漠に残る枯れ草のように感じられた。緑と海 の調和のとれた街に、この地でしか食べられない美味しい魚料理を頂いた街のイメージは何処にも残っていなかった。瓦礫の街を大型トラックが行き交う光景 は、胸が痛くなる思いだ。電柱が折れ鉄筋がむき出しになったまま倒れており、辺り一面に海砂が覆い被さり水蒸気と砂埃が立ちこめている。いつになったら復 興するのだろうかと思い気持ちになってしまう。


 全てが言葉にならない。この地に、住民と賑わい・笑顔をどうしたら戻ってくるのだろうか。専門家としての自分が情けなくなる。1,000年に一度の地震・ 津波は、ここまで人間に試練を与えてしまうことを肝に銘じなければいけない。そのためにも、我々専門家は責任ある物作り・まちづくりを行う必要がある。歴 史を知り・歴史に学び・新たなるチャレンジをしていく。当たり前の事が、今までなぜ出来てこなかったのだろうかと考えてしまう。


 我々建築の専門家・街づくりの専門家は、「開発・建設の専門分野において、専門知識とノウハウと一体となった倫理思考」を指す必要があると一級建築士の講 習会で指導された。また、「100年・200年耐えられる建築をつくり、設計を通じてサスティナビリティーある社会を実現しなければならない。」と方向性 を指導された。更には、「我々は、環境価値創造者である必要があり、アセットマネージャー」(資産管理者)としての役割を求められている。」とも言われ た。「医師・弁護士・建築士は、それぞれの専門家として同等の個別の倫理を持つ必要がある。」とされている。ある最低限の建築基準を守り安心するべきでは ない。これまでも歴史や文化・風土を理解した上で、建築が指標とする数値的根拠を利用し建築的クライテリアを独自に定めていく必要がある。建設業者にコス ト提示され、品質を下げるべきではない。クライアントから信頼を受け設計や企画を立てている以上、それに応えるべき行動とらなければならない。最近では、 設計事務所よりゼネコンの方が信頼を高め、ゼネコンに提示された金額が高いのは設計が悪いからだと批判を受ける事例まである。設計事務所はただの図面書き で、建築コストの専門家ではないとの認識のようだ。改めて建築設計のシステムと行動・責任感を正さなければならないと考える。
我々が、しっかりとした設計と施工監理を行えば、今回のような災害に対しても被害を少なく押さえる事が出来るのではないかと感じます。(完)


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2011年8月25日木曜日

宮城県仙台市~亘理町レポート(その1)

宮城県仙台市~亘理町レポート       2011.05.27~28
2011年5月30日
(株)Arch5
小俣光一
 はじめに今回の東日本大震災にて大きな被害あった関係者の方々や、災害に遭われて大変な状況にある方々へ、謹んでおい見舞い申し上げます。
少しでも早い復興をお祈り申し上げます。



  新幹線で東京を出て郡山を過ぎ福島市に差し掛かった辺りから、屋根にブルーシートが貼られた民家がだいぶ増えてきた。RC造の建物もひび割れが見られ、柱が剪断破壊されたものもいくつか見られるようになった。郡山と福島では地質地盤の構成がだいぶ違い同じ地震を受けながらも建物に及ぼす被害の差がだいぶ現れたような気がする。元々郡山市内は、沼地や湿地帯であり人が多く暮らせるような地盤ではなかった事を、以前郡山市内に建築の設計を行ったときに調べる機会があった。近代に入ってから建築技術の向上によって現在の発展した郡山の市街地形成になっている。今回の地震では地盤が軟らかかったことが福島市内とは違った震災の影響結果となったのだろう。
 仙台市内に入る手前から新幹線のスピードはかなりゆっくりとなった。福島からの途中も含めかなりの民家の被災状況を見る事となったが、大きなビルへの大きな影響は遠目には感じられなかった。仙台駅のホームに降り立つと多くのメディアで取り上げられていた天井の落下を知る事となる。現在は天井を全て撤去して構造的補助材のみが残されている。
 友人との待ち合わせのためヨドバシカメラマルチメディア仙台店に入ってみる。消費活動は、かなり活発である事を感じた。やはり被災した方々の生活用品がかなり買われているようだ。駅を出て市内を回り始める。車道と歩道・敷地境界部分に歪みや段差・ひび割れがかなり見つかる。仙台駅の南東エリア南西エリアはかなり地震の影響を受けているようだ。建物が、若干斜めになっているような気がする物件もあった。市内中心部には、立ち入り禁止の黄色いテープが入り口付近を囲っているものもある。大きな公共要素の高い施設やホテルにもメッシュの養生が張られており、タイルや外壁の落下防止を行っている物件が数多く見られる。腰壁や窓周りには、簡単な補修ではすまないようなひび割れが深く入っており揺れ方のすごさが感じ取られる。中心部は建物だけでなく、道路の補修もかなりの範囲で行われている。 
 今回の東日本大震災では、仙台において築40年前くらいの重厚な構造の鉄筋コンクリート造の建物が大きなダメージを多く受けている。特に目立っていたのは、半官半民のような企業のタイル張りの建物にダメージを見つける事が出来た。知人のオフィスビルに入ってみた。昭和56年以前の建物にしては、外壁でのクラックは比較的少なかった。しかしながら、内部の耐力壁には数多くの細かいクラックが見られる。階段室では、水平部分の打ち接ぎ部にクラックが多く見られた。意外と古い建物に被害は少なかった。新しい建築物においても、誘発目地や構造スリットが施工されていないものに多くの被害が出ている。また、平面形状の不整形なものや構造躯体の重そうな建物は被害が大きい。
仙台市内中心部の建物の中でも打ち継ぎ水平目地や誘発目地の施工されていない建物には、クラックが必ずといって良いほど発生している。また、横連窓の開口部が一面全体に配置されている建物の柱部分には、x印のクラックが発生している事例が多い。更には、大きな外壁面に上から下まで縦に一連で開口部が続く周辺部にも多くクラックが発生している。



  鉄骨造の建物に関しては、建物の一方向のみに大きな開口部が集中したものに関してはガラスが崩壊し跡形もない状況が多い。郊外において、大きなガラスのショウルームが大きな被害を受けていた。特にバイパス沿いの盛り土の上に作った施設は、たいがい建物と地盤に修復不可能な被害が見られる。畑や田んぼの上に道路のレベルにあわせるために盛り土した造成の物件は、ほとんどが何らかの被害が出ている。郊外型の商業施設は、多くダメージを受けている。その中でも低コスト重視の大型家具店やホームセンターの建物は、高い比率で大きなダメージを受けている。



 
 マンションにおいては、外壁より外廊下側についている雑壁と呼ばれる1メートル程度の壁にX型のクラックが多く見られ窓 周りで四方に向けクラックが発生しているものが多かった。ピロティー形式で一階部分に駐車場を配置している物件は、多くのの被害を受けている。最悪なの は、一階ピロティーの端にエントランス部分があり変芯した配置のバランスの悪いプランで、バルコニーの先端に逆梁構造になっているケースである。柱と梁の 接合部および耐震壁に多くのダメージが見られる。また、住戸の隣接戸境壁には確認しにくいがビニールクロスやボードの下地コンクリート壁にクラックが多く 発生しているようだ。保険会社の方々が査定する現状と建築的な立場での査定は、大きな乖離があるようだ。木造建築の被害査定には、半壊以上が多いがRC・ S・SRC造の建物はほとんどが一部損壊である。しかしながら多くのものは大きな構造的ダメージを受け構造的回復を求めるためには大きな改修工事を伴う事 が予測される。


 一般の戸建て住宅に関しては、外見上の被害は少ない。多くのものが、サイディングを張った外壁のためである。屋根に重い瓦葺きを採用したものは、地盤の状態により被害の度合いが大きく違う。また40年前くらいに造成した住宅地は、搬出土の数量を押さえるために、切り土した隣接部に盛り土をして平坦な造成宅地を造っている。このため一軒の家で盛り土部分が下がり、家やブロック塀が傾く現象が多く見られる。この周辺に建てられたテナントビルや単独店舗には、さらに深刻なダメージや現象が出ている。 
 黄色のテープが張り巡らされたビルや建物は、全壊として扱われ、取り壊す決心がつきやすい。しかしながら、中途半端に傾いたり、部分的に外壁がはがれ落ちた家は、半壊や一部損壊として扱われ、今後の対応に悩むところが多い。主要な構造部材や床下の基礎部分を詳しく見ずに、業者が改修工事費を提示する事例が多いようだ。現在も生活を続けている立場の弱い住民には、建築の専門家としての建築家の知識と判断そして支援が本当に必要である。



 「家、三匹の子ぶたが間違っていたこと」(田鎖郁男 金谷年展 ダイヤモンド社発行)という本が興味深い。「三匹の子ぶた」が書かれた竜巻やハリケーンの多い地域と違い、地震の多い日本においては、童話の内容が正しくない事を始まりとして日本における住宅の価値を課題点として書かれた本である。ニュージーランドのクライストチャーチ市に起こった地震では、煉瓦造りでかよわい木製の梁の建物での倒壊が目立った。まるで、この地に地震が起こる事など誰も考えてなかった作りである。しかしながら歴史をさかのぼれば、地震対策が必要な場所である事がわかる。一見、歴史ある町並みのように見え、頑丈な石造りのような強いイメージが、重厚で美し以下のように誰の目にも映っていた。実は欧米の人々が移住してきてクライストチャーチの街にヨーロッパの街並を再現したのは、そんなに遠い歴史ではない。(つづく)





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