我々日本人が1,500年以上の木の家の文化を積み上げてきたにもかかわらず、戦後においてここ数十年の間で環境配慮や歴史を考慮する事より技術力に頼った家を好み、多く建てることとなってしまった。このことをこの本は、改めて日本の家の課題点としてあげ、家に対しての資産価値まで警鐘を鳴らしている。我々建築の専門家は、北海道から沖縄に至るまで、その地域に最もふさわしい建築物を常に提案しなければならない。
東北新幹線は、私が大学を卒業して就職し仙台に赴任したその年に開通した。まさに建築基準法の改定があり建築物の構造に関する基準が変わった境目の年であ る。土木の設計基準に変化があったかどうかは、検証してはいない。しかしながら、仙台駅を中心に、北部も南部方面にも多くのダメージを受け、柱の補強をし た跡が数多く見られる。地震直後の想定被害とかなりの乖離があった事を感じる。復旧工事に当初予定よりも時間がかかったのは、当然の事だろう。阪神大震災 のような高架部分の横倒しがなかったのは幸いである。更には走行中の新幹線に大きな人的災害が起こらなかったのが奇跡のように感じられ、この奇跡に胸をな で下ろす思いである。改めて不特定多数の人の利用する公共的インフラに「想定を超える想定外」という言葉は不適切だと感じた。
やはり深刻なのは、仙台市の東側から福島にかけての海岸地区・地域である。ほとんどが許可書を持たない一般の人は立ち入り禁止地区になっている。5月の 後半には、毎年水田に青い若い苗が植えられ水面と空が解け合う風景が特徴的であった。しかし今年は、田んぼにはガレキとゴミが多く残されたままだ。すでに 3ヶ月近くたち、だいぶ片付けられてきたようだが初めて見る人にとっては言葉も出ない状況である。浜に近い集落や港のある街は、建物が全て浸水した。その 被害状況は様々である。歴史を積み重ねてきた集落は、比較的被害が少ない。新たに造成された住宅地は、有名なハウスメーカーの建物でさえもしっかり接続さ れていたはずの上部建物は流され、基礎のコンクリートのみ残されて建物は跡形もなく姿を消していた。
不思議な現象を見た。古くからある集落において2メートルほど浸水している住宅やお寺の建物において、さほど大きな被害を受けていないケースが見られ た。海や堤防に近い場所であっても、このような事例はある。開口部のガラスも割れていない建物もあった。水害には遭っているが津波の水流が緩やかな場所が あったことが想定される。数メートル離れた場所の建物は、サッシュごと流され外壁も残らずに2階のみ自立している物件もある。長い歴史の中で何度か津波を 経験してきた先人たちが生活の場を微妙な違いの中で選択して築いてきたのだろう。
しかしながら改めて津波の威力に驚かせられる。長さ5メートルほどのコンクリート製の堤防を何メートルも押し流し、大きく地面を掘り返し津波は押し寄せて きたのだ。車や家具・大きな船までも全く予期せぬ場所まで押し流していった。倉庫のシャッターやサイディング・ALC壁は、跡形もなく流された。その中身 も何もなかったかのように、床に砂のみが残っている。
港の近くの街は、ゴーストタウンのようだ。木造の建物の2階部分が学校の校庭の片隅にぽつんとたっていた。一階部分が壊れ、津波に流されここまで来たのだろう。不思議な光景で何か語りかけているようであった。部分的に残された学校のフェンスには、3メートルほ どの高さまで細かいゴミが網にかり、まるで漁の網にかかるちりめんじゃこのようにへばりついていた。その学校の裏手から港にかけては、高さ15メートルほ どにもなる建物の瓦礫の山が、自衛隊の力で積み上げられていた。以前は立派だったと思われる庭の植木も今では砂漠に残る枯れ草のように感じられた。緑と海 の調和のとれた街に、この地でしか食べられない美味しい魚料理を頂いた街のイメージは何処にも残っていなかった。瓦礫の街を大型トラックが行き交う光景 は、胸が痛くなる思いだ。電柱が折れ鉄筋がむき出しになったまま倒れており、辺り一面に海砂が覆い被さり水蒸気と砂埃が立ちこめている。いつになったら復 興するのだろうかと思い気持ちになってしまう。
全てが言葉にならない。この地に、住民と賑わい・笑顔をどうしたら戻ってくるのだろうか。専門家としての自分が情けなくなる。1,000年に一度の地震・ 津波は、ここまで人間に試練を与えてしまうことを肝に銘じなければいけない。そのためにも、我々専門家は責任ある物作り・まちづくりを行う必要がある。歴 史を知り・歴史に学び・新たなるチャレンジをしていく。当たり前の事が、今までなぜ出来てこなかったのだろうかと考えてしまう。
我々建築の専門家・街づくりの専門家は、「開発・建設の専門分野において、専門知識とノウハウと一体となった倫理思考」を指す必要があると一級建築士の講 習会で指導された。また、「100年・200年耐えられる建築をつくり、設計を通じてサスティナビリティーある社会を実現しなければならない。」と方向性 を指導された。更には、「我々は、環境価値創造者である必要があり、アセットマネージャー」(資産管理者)としての役割を求められている。」とも言われ た。「医師・弁護士・建築士は、それぞれの専門家として同等の個別の倫理を持つ必要がある。」とされている。ある最低限の建築基準を守り安心するべきでは ない。これまでも歴史や文化・風土を理解した上で、建築が指標とする数値的根拠を利用し建築的クライテリアを独自に定めていく必要がある。建設業者にコス ト提示され、品質を下げるべきではない。クライアントから信頼を受け設計や企画を立てている以上、それに応えるべき行動とらなければならない。最近では、 設計事務所よりゼネコンの方が信頼を高め、ゼネコンに提示された金額が高いのは設計が悪いからだと批判を受ける事例まである。設計事務所はただの図面書き で、建築コストの専門家ではないとの認識のようだ。改めて建築設計のシステムと行動・責任感を正さなければならないと考える。
我々が、しっかりとした設計と施工監理を行えば、今回のような災害に対しても被害を少なく押さえる事が出来るのではないかと感じます。(完)
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