2011年8月12日金曜日

歴史と共に生きる建築空間の役割(その1)

歴史と共に生きる建築空間の役割
建築の価値観からコミュニティー形成
2011.03.31
株式会社Arch
小俣光一
 建築物の価値観が何であるかは、議論される事がほとんど無い。これまでにマスコミは手抜き工事の住宅や耐震偽造について話題を作ってきたが、不正な行為についてのみ社会的な問題とされ取り上げられてきた。しかしながら何故このような不正が起こるかは、真剣に議論し解決しようとした動きはない。ましてや規制を厳しくすれば解決出来ると、安易な他人任せの解決策を作り上げ、建築行為を難しくさせ日本経済までを停滞させる結果を国が作ってしまった。
 建築業界や政策を真っ向から否定するものでない。自分自身もこれらの業界で長く育ち学んできた。しかしながら建築物や空間に対する考え方が日本とアメリカそしてヨーロッパにおいて、多くの点で違いがある事に数年前から気がつき始めた。このことは建築の歴史や風土においても異なるが、まちづくり・都市計画~法的整備・建築規制そして更には建築材料に対する新規開発や参入におけるまで、改めて日本人が勉強し直す必要があると感じる。
 日本で最も大きな問題であり、かつ誰も触れる事のない課題点が一つある。それは建築を作るための時間・建築が主体の事業的回収期間が短い事である。一つの話ではあるが、ある映画配給会社に以前在籍していた方から聞いた話である。ベルリンにある、ポツダム広場の再開発事業で、映画館の設計打合せでの議論であった実話だ。アメリカのシアター開発者は、「15年で事業回収が出来れば建築は任せる」と発言した。日本のスポンサー企業担当者は、再開発事業である事をベースに半信半疑で開発の方向性決めに迷っていたようだ。


その時、建築の設計を担当したドイツの建築家は、「シアターは100年以上、空間として使えるものでなけれ
ばならない。」と、言い切って設計に専念したとのことだ。これまでに大きな過ちを犯してきた日本を強くこの話の場面に感じた。
 ドイツに限らず、ヨーロッパ各地では、古い建築をリノベーション:別の用途に換え再利用する事例が多い。特に景観保存地区や指定保存建物ではない事例も多い。昨年12月に、リノベーションを得意としているドイツの有名建築家と話をする機会があった。我々と同行した日本のデベロッパーの方が、彼に質問をした。「あなたが考える最も環境を配慮したエコロジカルな建物とは、どんな建物ですか。」これに答えて、その建築家は一言「最も美しい建物を設計し美しく作り上げる事です。」と言った。その理由は、美しければ大切に使うだろうし、長い時を越えても残してもらえる。また、ゆとりのある建築は空間の価値としても自由に別の用途としても再利用可能である事などを説明に加えた。
 私がドイツ研修に行く際によくお世話になるケルン在住の小室氏の事務所ビルは、100年以上の建物である。このビルの地下室にはケルンの町の歴史が刻まれている。数十年ごとにこのビルを襲う地下水位の上昇が地下壁煉瓦積みに跡を残している。だから電気設備の機器はこのレベルより上部に設置されている。各居室には光通信設備が引き込まれておりこの地下室を経由して世界の最新情報がいち早く手に入るようになっている。歴史に逆らわなければ機器を損失する事はないと大家さんは語っているようだ。開口部のガラスも複層になっていて断熱性能の高いものに換えられている。また夏は、涼しい風が通りやすいように中庭側にも開口が必ず設けられており、冬は全てにセントラル暖房が効率よく窓際に設けてあり環境に配慮した快適な空間作りが行われている。古い100年以上たったビルでも現在に通用する住み心地の良い快適空間を提供できることを証明している。
 日本の中にも、このような事例は多くある。京都の町屋ほとんどが、約築150の木造建築である。中には、築300年前の木造建築物も存在している。京都の町の骨格は、1,200年前に作られ、現在の町割りがほぼ完成したのは400年ほど前になる。歴史的な比較をすれば、ロンドンの町も300年前に大きな火災に見舞われ街並み整備の見直し(復興)を行って木造の街並みから現在の石造りのような街並みに整備された。パリやウィーンの町並みは、約150年の歴史である。京都の街並みもヨーロッパの街並みも歴史的にはほぼ同じ歴史をたどっている。これらの町屋は、時代の流れと共に様々な用途の空間として利用されてきた。電気がない時代から使い続けられている町屋は、現在のハイテクIT産業に対応する最先端事業の事務所建築としても利用されているのもがある。また町屋の一階部分が自動車のための駐車場に改築されるなど、更には有名なシェフが経営するレストランに改修される事例まである。
また、古い蔵造りの建物がレストランやバーなどに再利用されている事例が、地方都市にも多い。まちづくりの上で歴史を越えた構造的な余力を持った建物は、昔の人々には想像もつかなかった空間利用として町の歴史の大きく貢献している。
 しかしながら第二次世界大戦後に作られた建物は、寿命が非常に短い。特に戦後仮設住宅を作ってきた訳ではないのだろうが、古い戸建て住宅の中古住宅市場は、他の国に比べ異常に少ない。柱は細く、壁は薄い。冗談半分にある評論家がコメントしていた。頑張って働いて買ったマイホーム、35年ローンを払い終わったら資産価値ゼロ笑うに笑えないブラックジョークである。おまけに、リーマンショック以降、土地の値段も下がり続けている。長年住み続けた住宅には、プランが時代に合わず建築設備も古くなり子供達さえも引継ぎ住もうと言わない。かといって、売ろうと思っても資産価値が低いため、老人ホームに移り住む資金にもならない。
 現状で建築の工事費の考え方は、予算組の段階では曖昧な事が多い。まだ形や機能・デザインも決まっていない段階から、日本においては「***用途の建物は、坪当たり***万円ですね。」とゼネコンや設計事務所が過去のデーターや営業的「感」のみで値踏みする。重ねてクライアントが、「最近では、***万円/坪でできないの?」と、根拠無く交渉が始まってしまう。建物を作る目的や品質のグレード・耐久性・建設コンセプトなどが建物の基本性能と価格を決める大きな要因である事を知らない人達の会話である。工事費を日本で考える相場の2倍掛けたとしても、建物の寿命が3倍あったら品質を上げるために工事費を多く予算化した方が得策であるとは日本では考えにくい。
 これまでの日本の建物においては、品質や耐久性だけの問題ではない。残念ながら今回の東日本大震災における津波被害でも海岸沿いに建てられた戸建て住宅はほとんどが被害に遭って全壊・半壊状態になっている。海の近くに住むに当たって津波を意識しなかった原因は、何であろうか。千年の歴史・百年の歴史に災害の教訓は無かったのだろうか。しかし一方で古い民家や腰壁までコンクリリートで一階部分を補強した店舗併用住宅は、数は分からないが津波にも耐えた事が伝えられている。千年の歴史の中からの教訓を生かしたのだろうか、宮城県の名取町や亘理町の一部の古い集落には、津波の被害には遭遇し周辺の建物が全て流されたにもかかわらず、古くからある建物がその場に残り再建の可能性があるものもある。

宮城県亘理町の友人の自宅
建物の高さを越える津波に遭遇。古くから神社の周辺の建物のみ残る。周辺のあった新しい分譲地には大きな倉庫以外、数十件あった戸建て住宅はほとんど無くなっている

海岸に近い集落の重要な建物は、何故にある高さを越えたところに決められたように昔から建てられているのだろうか。水田の真ん中にありながらも古くから残る民家は、ある程度の高さを保ち大きな木々で囲われ複数の災害から逃れてきたのだろうか。切り立った山並みの中腹にある古い民家は、周辺に地崩れ危険地帯があるにも関われずいまも残っているのだろうか。大きな地震の度に液状化が問われているが何故埋め立て地の超高層マンションに人は住むのだろうか。免震構造のビルは、本当に大丈夫なのだろうか。地盤がずれているのに高層ビルの杭は、今もまっすぐ立っているのだろうか。壁や床に今回の地震でひび割れの入ったビルは、次の大きな地震に耐えられるのだろうか。様々な考えが頭をよぎる。(つづく)

にほんブログ村 美術ブログ 建築・建築物へ
にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


0 件のコメント:

コメントを投稿